ペットロスで苦しんでいる方へ。
愛犬や愛猫との別れは、本当に辛いものです。
時間が解決してくれると言われても、何年経っても忘れられないことがあります。
私にも、今でも思い出すたびに胸が苦しくなる愛犬がいます。
名前はサクラ。
セントバーナードの女の子でした。
13年間を共に過ごし、私たち家族にたくさんの幸せを与えてくれました。
現在はチワワのモナと暮らしていますが、サクラとの別れは今でも私の心の中に残っています。
そして正直に言うと、私は今でも自分の決断が正しかったのか分かりません。
この記事は、過去を正当化するために書くものではありません。
また、誰かに同じ選択を勧めるための記事でもありません。
ただ、私と同じようにペットとの別れや後悔を抱えている方に、
「一人ではありません」
と伝えたくて書いています。
もし今、ペットロスで苦しんでいる方がいるなら、私の体験が少しでも心を整理するきっかけになれば幸いです。
本当に辛いのは別れではない

もっとできたかもしれないという後悔
ペットロスという言葉があります。
愛犬や愛猫との別れによって心に大きな喪失感を抱える状態です。
しかし私自身が経験して感じたことは、本当に辛いのは別れそのものではありませんでした。
本当に辛かったのは、
「あの時もっとできたのではないか」
という後悔です。
もっと散歩に連れて行けば良かった。
もっと一緒に過ごせば良かった。
もっと良い環境を作ってあげれば良かった。
愛する存在を失った後、人は過去を何度も振り返ります。
そして、自分を責め続けます。
私もそうでした。
今でも完全に吹っ切れたわけではありません。
後悔で頭の中がいっぱいになってしまう時、私自身が実践している心の整理方法があります。
もし今も苦しさが続いている方は、こちらの記事も参考にしていただければ幸いです。

サクラとの出会いと別れ
サクラが我が家にやってきたのは、生後2か月ほどの頃でした。
とはいえセントバーナードです。
大きくて優しかったセントバーナード

子犬の時点で既に小型犬あるいは小柄の中型犬の成犬より大きかったのを覚えています。
ご飯もよく食べました。
見る見るうちに成長していきました。
穏やかで優しく、人を噛むようなこともありませんでした。
家族みんなに愛されていました。
日本の夏はサクラにとって過酷だった
セントバーナードは本来、寒い地域で暮らす犬です。
そのため、日本の暑い夏はとても大変そうでした。
毎年、少しでも涼しく過ごせるように工夫していましたが、それでも暑さは相当な負担だったと思います。
若い頃は元気だったサクラも、年齢を重ねるにつれて少しずつ体力を失っていきました。
13歳を過ぎてからの介護生活
13歳を過ぎた頃から、サクラは少しずつ立ち上がることが難しくなっていきました。
若い頃はあれほど元気に走り回っていた姿が、少しずつ失われていったのです。
やがて自力で寝返りを打つこともできなくなり、床ずれもできるようになりました。
その姿を見るたびに胸が締め付けられる思いでした。
何とかしてあげたい。
もっと楽にしてあげたい。
そんな気持ちでいっぱいでした。
しかし、その頃に父が他界しました。
それまでサクラの世話を支えてくれていた家族の環境も大きく変わってしまいました。
母も兄の家へ行くことになり、サクラの面倒を見る人がいなくなってしまったのです。
もちろん私もできる限りのことはしたつもりです。
しかし仕事もあり、24時間付き添うことはできませんでした。
サクラの苦しそうな姿を見るたびに、
「これでいいのだろうか」
という思いと、
「何とかしてあげたい」
という思いの間で、毎日心が揺れていました。
そして私が下した決断
悩み続けた末に、私は安楽死という選択をしました。
獣医師の先生に来ていただきました。
最後は獣医師の先生の処置により、静かに旅立ちました。
あまりにも静かで、あまりにもあっという間の出来事でした。
その時の私は、
「これで良かったんだ」
と思おうとしていました。
サクラも苦しみから解放されたはずだ。
これ以上辛い思いをしなくて済むはずだ。
そう自分に言い聞かせていました。
しかし時間が経つにつれて、別の感情が湧いてきました。
本当にこれで良かったのだろうか。
サクラは幸せだったのだろうか。
もっと別の方法はなかったのだろうか。
私は自分の都合を優先してしまったのではないだろうか。
その問いに、今でも答えは出ていません。
私は地獄に落ちると本気で考えた
サクラとの別れからしばらくの間、私は本気で
「自分は地獄に落ちるのではないか」
と考えていました。
本当に正しい判断だったのだろうか
命を預かった飼い主として、本当に正しい判断だったのだろうか。
もっとできることがあったのではないか。
そんな思いが何度も頭をよぎりました。
今振り返ると、私は命を預かることの重さを十分に理解していなかったのだと思います。
犬も歳を取ります。
そして飼い主である人間も歳を取ります。
家族構成や生活環境も変わります。
今ある環境が、10年後、15年後も同じとは限りません。
しかし若かった当時の私は、そこまで深く考えることができていませんでした。
サクラが年老いた時のこと。
自分が年齢を重ねた時のこと。
介護が必要になった時のこと。
家族の状況が変わった時のこと。
正直に言えば、そこまで具体的に想像できていなかったのです。
もちろん、それは言い訳にはなりません。
だからこそ今でも後悔があります。
ただ、今だからこそ思うのです。
ペットを飼うということは、可愛い子犬や子猫を迎えることではありません。
その子の老後も含めて引き受けることなのだと。
私はサクラとの経験を通して、そのことを痛いほど学びました。
そして今でも、その学びは私の心の中に残り続けています。
後悔や苦しみを完全に消すことはできません。それでも、私が心を整えるために実践している方法については、こちらの記事でも詳しく紹介しています。

誰にも言えなかった苦しみ
批判されるかもしれない。
この話を人にすることはありませんでした。
理解されないかもしれない。
そう思っていたからです。
しかし一番苦しかったのは、他人からの批判ではありません。
自分自身が自分を責め続けていたことでした。
仏教を学んで気付いたこと
後悔は消そうとしなくていい
仏教を学ぶ中で少しずつ考え方が変わりました。
後悔を無理に消そうとしなくていい。
忘れようとしなくていい。
むしろ忘れてはいけない経験もある。
そう思うようになりました。
仏教で考える、後悔との向き合い方
仏教を学ぶ中で少し考え方が変わりました。
カルマは、
「一回失敗したら終わり」
という単純なものではありません。
人は過ちを犯します。
大切なのはその後どう生きるかです。
私は今でも、あの判断が正しかったとは言えません。
「サクラをこのまま苦しませていいのだろうか?」
「さくらの苦しみを終わらせたい」
そう願っていたことだけは事実です。
懺悔の先にあるもの
仏教には懺悔という考え方があります。
しかし懺悔だけで終わりません。
その先に発願があります。
これからどう生きるか。
どう行動するか。
そこに意味があるのです。
私はサクラとの出来事を消すことはできません。
しかし、その経験を無駄にしない生き方はできると思っています。
今の愛犬モナが教えてくれたこと
腫瘍が見つかった時
今、我が家にはチワワのモナがいます。
モナの体調が少しでも悪いと、私はすぐ病院へ連れて行きます。
腫瘍の手術も、子宮摘出も迷いませんでした。
二度と後悔したくない。
そんな気持ちがあったのだと思います。
罪滅ぼしではなく愛情だった
以前は、モナを可愛がるのはサクラへの罪滅ぼしだと思っていました。
しかし最近は違う気がしています。
サクラが教えてくれたことを、モナに生かしているだけなのかもしれません。
サクラはサクラで、モナはモナなのです。
後悔は消えない。でも供養には変えられる
私は今でも答えを持っていません。
この記事を書いている今も、
「あの時、本当にあれで良かったのか」
と思っています。
しかし一つだけ言えることがあります。
後悔は消えなくてもいい。
忘れなくてもいい。
その経験を次の命への優しさに変えることはできる。
私はそう考えています。
今日からできること
もし今、後悔を抱えている方がいるなら、今日だけは少し立ち止まってみてください。
- 昔の写真を見返してみる
- 「ありがとう」を伝えてみる
- 今いる家族やペットを大切にする
- 自分を責める時間を少し減らしてみる
それだけでも十分だと思います。
ペットを迎えようとしている方へ伝えたいこと
可愛いだけでは続かない
犬はぬいぐるみではありません。
家に迎えたその日から、一つの命を預かることになります。
子犬の頃は無邪気で可愛く、見ているだけで癒されます。
しかし犬も生き物です。
病気にもなります。
歳も取ります。
時には高額な医療費がかかることもあります。
介護が必要になることもあります。
そして、いつか必ず別れの日がやってきます。
私は若い頃、そのことを頭では理解していたつもりでした。
しかし本当の意味では分かっていなかったのだと思います。
元気に走り回る姿を見ると、その日が来ることをなかなか想像できません。
だからこそ、これから犬を迎えようとしている方には伝えたいのです。
犬を飼うということは、楽しい時間だけでなく、病気や老い、そして別れまで含めて引き受けることなのだと。
それは決して脅しではありません。
命を預かるということの現実です。
大型犬を飼うなら考えること
私が飼っていたセントバーナードの「サクラ」は、とても優しい犬でした。
今でも忘れることはありません。
だからこそ、もし今もう一度大型犬を迎えるかと聞かれたら、以前とはまったく違う視点で考えると思います。
まず考えるのは介護です。
大型犬は体重が重く、動けなくなった時の負担も大きくなります。
若い頃なら抱えられても、自分が年齢を重ねれば簡単ではありません。
医療費も考えなければなりません。
犬も高齢になると通院が増えます。
手術や治療が必要になることもあります。
家族の協力も重要です。
私自身、本当はさくらを家の中で飼いたいと思っていました。
しかし家族の考えもあり、それは叶いませんでした。
今振り返ると、犬を迎える前に家族全員でしっかり話し合うことの大切さを感じます。
住環境も同じです。
大型犬には大型犬に合った環境があります。
そして最後に、自分自身の年齢です。
若い頃には考えもしなかったことですが、犬の寿命を考えた時、自分が何歳になっているのかは大切な問題です。
これは犬を飼うなという話ではありません。
むしろ逆です。
本気で最後まで面倒を見る覚悟があるなら、迎えてほしいと思います。
だからこそ、迎える前に考えてほしいのです。
それでも犬と暮らす価値は大きい
ここまで読むと、
「犬を飼うのは大変そうだ」
と思われるかもしれません。
実際、大変です。
後悔もあります。
苦しい思いもしました。
今でも思い出して胸が苦しくなることがあります。
それでも私は、サクラと出会ったことを後悔していません。
後悔しているのは、自分の未熟さや判断に迷い続けていることです。
しかし、サクラと過ごした時間そのものを後悔したことは一度もありません。
犬は言葉を話しません。
それでもたくさんのことを教えてくれます。
無条件の愛情。
命の重さ。
家族の温かさ。
そして別れの辛さ。
さくらと出会わなければ、今の私はいなかったと思います。
だから私は、これから犬を迎える方に伝えたいのです。
可愛いだけでは続きません。
覚悟も必要です。
責任も伴います。
それでも、その責任を引き受ける価値があるほど、犬との暮らしは人生を豊かにしてくれます。
もし迎えるのであれば、どうか最後の日まで家族として大切にしてあげてください。
それが、かつてサクラと暮らした私からの願いです。
おわりに
この記事を読んで、私の判断を批判する方もいると思います。
それは当然だと思います。
私自身、今でも答えを出せていないのですから。
ただ一つだけ確かなことがあります。
私は今でもサクラを忘れていません。
そして、これからも忘れることはないと思います。
サクラと過ごした13年間は、私に命の重さを教えてくれました。
後悔はあります。
苦しさもあります。
それでも、サクラと出会えたことだけは一度も後悔していません。
この記事を書くことが供養になるのかは分かりません。
それでも、同じような後悔を抱えている誰かの心が少しでも軽くなるなら。
そう願いながら、この記事を書きました。
この記事を書いた今も、すべてが解決したわけではありません。
それでも、サクラのことを言葉にできたことで、少しだけ胸のつかえが取れたような気がしています。


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