「酒を飲んだ翌日、なぜこんなに体が重いんだろう。」
空手の稽古で、いつも通り動いているつもりなのに体が重い。
息が上がる。集中しにくい。思ったように動けない。
そんな経験はないでしょうか。
私は22年、空手を続けています。
試合に出場していた頃は、稽古だけではなく、体重管理や食事、睡眠についても以前より意識するようになりました。
もちろん、その頃から「飲み過ぎれば翌日に響く」ということくらいは分かっていました。
それでも、自分の体で実際に比較してみるまでは、酒がどれくらい空手のパフォーマンスに影響しているのか、深く考えたことはありませんでした。
ところが、試合を意識して酒を控えるようになってから、その違いが少しずつ分かるようになったんです。
そして今では、私は酒を飲まない生活を選んでいます。
断酒して気づいたのは、酒によって消耗していたものは、単に体力だけではなかったということでした。
空手、トラック運転、そして仏教。
一見まったく違うこの三つが、私の中では「酒を飲まない」という一つの選択によってつながっていきました。
この記事では、空手を22年続けてきた私自身の経験から、
「酒をやめることで、体と心に何が変わったのか」
をお伝えします。
「酒をやめようか迷っている」
「翌日の体の重さが気になっている」
「もっと自分の力を出せる状態で過ごしたい」
そんな方に、何か一つでも判断材料になればと思います。
断酒の効果|酒をやめて空手の稽古をすると体の感覚が違った
酒を控えるようになって、最初に感じたのは朝でした。
目覚めたときの重さが違います。
以前なら、
「まだ寝ていたいな」
「体が重いな」
と感じる日がありました。
それが少なくなりました。
そして空手の稽古でも違いを感じるようになりました。
フットワークが軽い。
体が動きやすい。
疲れた後の戻りも、以前より楽に感じる。
もちろん、体調には睡眠や食事、仕事の疲れなど、いろいろな要因があります。
ですから、すべてが酒をやめたことだけによる変化だとは思っていません。
それでも自分自身の感覚として、
「酒を飲まないほうが、明らかに稽古しやすい」
という実感はありました。
22年空手を続けていると、若い頃なら多少無理をしても動けました。
しかし年齢を重ねれば、回復も含めて身体をどう扱うかが重要になってきます。
一回の稽古だけ頑張るのではなく、翌日の仕事、その次の稽古まで含めて身体を整える。
その意味でも、酒を飲まない生活は私には合っていました。

空手のトップ選手は試合前に酒を飲まないと聞いた
空手を続けている中で、「強い選手ほど、試合前は酒を飲まない」という話を耳にすることがありました。
それを聞いたとき、私は単純にこう思いました。
「そんなに違うものなのだろうか」
私は専門家ではありません。だから最初から難しい理屈を考えたわけではなく、
「それなら自分でも試してみよう」
というくらいの気持ちでした。
試合に向けて稽古している期間だけでも酒を控えて、自分の体がどう変わるのかを見てみようと思ったのです。
そこで初めて、酒を飲んでいるときの自分と、飲んでいないときの自分を比べるようになりました。
酒で消耗していたのは体力だけではなかった|断酒で気づいた変化
ここで、ふと考えるようになりました。
酒を飲まなくなって体が軽くなった。
朝も楽になった。
稽古もしやすくなった。
だとしたら――。
酒によって影響を受けるのは、身体だけなのだろうか。
集中力。
判断力。
注意力。
気持ちの落ち着き。
そうしたものにも影響していたのではないか。
そう考えたとき、今度は空手ではなく、トラック運転手としての自分の仕事が頭に浮かびました。
酒は判断力にも影響する?トラック運転手だからこそ考えたこと
私は30年、トラックドライバーとして働いています。
道路では、本当に一瞬の判断が必要になります。
前の車が急にブレーキを踏む。自転車が出てくる。歩行者が横断する。狭い場所でトラックをバックさせる。高速道路で車線変更をする。
運転していれば、数えきれないほどの判断を繰り返します。
しかも、自分だけの問題ではありません。
一つ判断を誤れば、相手を巻き込む可能性があります。
そう考えると、
「前の日に飲んだ酒が翌日の自分に残るような飲み方をすることは、本当に必要なのだろうか」
と思うようになりました。
空手なら、体が重ければ自分の動きが悪くなるだけで済むこともあります。
しかし運転ではそうはいきません。
自分のコンディションが、そのまま周囲の人の安全にも関わります。
断酒して体の違いを実感したからこそ、私はこのことを以前より強く意識するようになりました。
飲酒運転と因果応報|事故につながる「縁」について考える
飲酒運転による事故の報道を見るたびに、やりきれない気持ちになります。
特に若い人が関係する事故のニュースを見ると、
「どうしてこんなことになってしまったのだろう」
と思います。
もちろん、酒を飲む人が最初から誰かを傷つけようとして飲んでいるわけではないでしょう。
友人と楽しく飲みたい。仕事の疲れを忘れたい。嫌なことがあったから気分を変えたい。
理由はいろいろあると思います。
問題は、その先です。
酒によって判断が鈍る。
「少しくらいなら大丈夫だろう」「近くだから大丈夫だろう」と思ってしまう。
その油断から、車の鍵を持ってしまう。
その一つ一つの小さな判断が重なって、取り返しのつかない結果につながることがあります。
仏教を学ぶようになって、私はこれを「縁」という言葉で考えるようになりました。
一つの行動だけで、すべてが決まるわけではありません。
さまざまな原因と条件が重なって、結果が生まれます。
酒を飲む。判断が鈍る。「大丈夫だろう」と思う。車の鍵を持つ。運転する。道路に出る。
いくつもの条件がつながり、事故という結果に至る可能性があります。
だから大切なのは、最後の瞬間だけで踏みとどまろうとするのではなく、もっと手前で、その縁を作らないことではないか。
私はそう考えるようになりました。
仏教の不飲酒戒とは|因果応報を学んで酒への考え方が変わった
仏教には「不飲酒戒」という戒めがあります。
以前の私は、これを「酒によって自分の心を乱さないための戒め」として捉えていました。
しかし仏教を学びながら断酒生活を続けていくうちに、その理解は少しずつ広がっていきました。
大切なのは、単に酒そのものを悪者にすることではないのではないか。
酒によって心が乱れ、注意が薄れ、普段ならしない判断をしてしまう。
その「不注意」や「放逸」が、自分だけでなく他者にも及んでしまうことを避けるための戒めでもあるのではないか。
そう考えると、私には非常に現実的な教えに思えます。
仏教でいう因果も、
「悪いことをしたら罰が当たる」
という単純な話ではないと私は理解しています。
自分の行為が、次の条件を作っていく。
そして、その条件がまた次の結果へつながっていく。
だからこそ、自分がどんな「因」を作り、どんな「縁」を作るのかを見る。
酒を飲まないという選択も、私にとってはその一つになりました。
空手・断酒・トラック運転|3つの経験から感じた断酒のメリット
振り返ってみると、最初のきっかけはとても単純でした。
「酒をやめたら、空手でもっと動けるのではないか」
それだけでした。
実際にやめてみると、稽古では見違えるように動けるようになり、朝の目覚めも軽くなりました。
そこから、
「自分は毎日、大きな車を運転している」
という仕事の責任について考えるようになりました。
そして仏教を学び、不飲酒戒について知る中で、
酒を飲まないことは、自分を守るだけではなく、他人を傷つける可能性につながる縁を一つ減らすことでもある
と考えるようになりました。
空手で身体を整える。運転で安全を守る。仏教で心を整える。
私の中では、この三つは別々ではありません。
全部、
「今、自分にできる一つの行動を丁寧に選ぶ」
ということにつながっています。
断酒したい人へ|意志の強さより「どんな縁を作るか」を考える
「酒をやめたいけれど、なかなかやめられない」
そんな人もいると思います。
私は、酒を飲む人を責めたいわけではありません。
酒との付き合い方も、人それぞれです。
ただ、もし今、
「少し減らしたい」「一度やめてみたい」
と思っているなら、必ずしも
「強い意志で一生やめる」
と考える必要はないと思います。
まず一週間。あるいは次の稽古まで。仕事の前日は飲まない。朝起きたときの身体を観察してみる。
それだけでもいい。
そして自分に問いかけてみる。
「酒を飲まない自分は、昨日までの自分と何が違うだろう」
体が楽なのか。よく眠れるのか。気持ちが落ち着くのか。仕事に集中できるのか。
答えは人によって違うでしょう。
大切なのは、自分で確かめることだと思います。
私の場合は、空手がきっかけでした。
そこからトラック運転の安全につながり、最後は仏教の教えにつながりました。
人生では、一つの小さな選択が次の縁を作ります。
酒を飲むことも一つの選択。飲まないことも一つの選択。
だから私は、
「酒をやめられるほど意志が強いか」
ではなく、
「自分はこれから、どんな縁を作って生きていきたいのか」
と考えるようになりました。
その答えとして、今の私は酒を飲まない生活を選んでいます。



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