「挑戦したいけれど、結果が怖くて一歩踏み出せない」「負けた経験をなかなか前向きに捉えられない」──そんな方へ。
この記事では、52歳で臨んだ最後かもしれない空手の試合で、僅差で敗れた私が「負けを受け入れる」という心境に至った経緯をお伝えします。
単なるスポーツの話ではなく、仕事や人生のあらゆる挑戦に通じる“勝ち負けを超えた価値観”と“次に進むための心の持ち方”を具体的に学べます。
試合を終えて──負けを受け入れるということ
3試合を勝ち抜き、決勝へ。
相手は体重差20キロの大柄な選手。それでも全力を尽くして食らいつきましたが、結果は2対1の判定負け。準優勝という結果でした。

負けた瞬間、いつもの私なら悔しさが先に立ち、「次こそリベンジ」と燃えるはずでした。
しかし今回は、不思議と「これで良かった」という感覚が心に残りました。
決勝まで進めたことの意味
50歳を過ぎ、体力的にもこれが最後の試合になるかもしれないと覚悟して臨みました。
その中で決勝まで進めたことは、自分の努力と支えてくれた仲間の存在があったからこそ。

最後は全力を出し切った結果、それでも敗れた。
だからこそ、「やりきった感90点」を自分に与えられる内容の試合でした。
仲間の支えがくれた力
試合後、ライバルであり親友でもある仲間から届いたメッセージ。
「戦う姿は本当に勇ましく感動しました。涙が止まりませんでした」
「これからもずっと良きライバルであり続けましょう!」
さらに、現役極真選手の先輩からも熱い言葉。
「後悔しない試合をしてください!裏方は任せてください!」
「アップから全力でサポートします!」
これらの言葉は、試合前の緊張や不安を吹き飛ばし、全力を出し切る勇気を与えてくれました。

勝ち負けに執着しないという考え方
世間では「勝たなければ意味がない」という空気が強くあります。
私自身もこれまで、負ければ悔しさを糧に次を目指してきました。
しかし今回は、負けを背負い、その経験をこれからの生き方に活かしていこうと思えたのです。
これは長年の武道修行の中で培われた、「結果より過程を重んじる」価値観の影響が大きいでしょう。
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この考え方は、ビジネスや日常生活にも応用できます。
プロジェクトや試みが失敗に終わっても、それを“次の土台”とすることで、次の挑戦に踏み出せます。
大会を支える人たちの存在
試合後、先生や仲間から「お前の方が勝っていた」と励ましの言葉をいただきました。
嬉しい言葉ですが、結果は変わりません。だからこそ、この負けを受け入れることも修行だと思いました。
同時に、大会は選手だけでなく、運営スタッフや仲間の支えがあって成り立つものだと改めて実感しました。

彼らは朝8時から立ちっぱなしで大会を支え、最後まで笑顔で送り出してくれました。
選手として戦う苦しみと、支える苦労──どちらも大会の価値を形作る大切な要素です。
負けを受け入れて次へ進む
試合直後の今も、まだ気持ちは熱いままです。
この経験がこれからの自分にどんな形で残っていくのかはわかりません。
しかし確かなのは、今回の負けを受け入れる気持ちと、大会を支えてくれた人々への深い感謝です。

負けを受け入れることは、諦めではありません。
それは、新しい挑戦への扉を開く勇気なのです。
まとめ──「負けを受け入れる力」がくれるもの
- 負けても、それを受け入れた先に新しい挑戦がある
- 勝ち負けだけでなく、過程や支えてくれる人々の存在を大切にすることで人生は豊かになる
- どんな挑戦も、やりきった経験は次の力になる
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あなたにとって、「負けを受け入れる」とはどんな意味を持ちますか?
もし似た経験があれば、ぜひコメントで教えてください。
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