私がゴルフをただの趣味としてではなく、「心の修行」として向き合うようになったのは、ごく自然な流れでした。武道や修行を通じて“心を整える”ことの大切さを学ぶうちに、ゴルフの中にも、まさに同じ学びがあると気づいたのです。
今回は、私がゴルフを通じて気づいた「心の動き」と「脱力の力」について、皆さんと分かち合いたいと思います。
ゴルフは“心の修行”である

ゴルフは単なるスポーツではなく、自分の内面と向き合う「心の修行」だと私は考えています。一打一打の中に、私たちの欲・怒り・迷いがそのまま表れ、そしてそれをどう扱うかが問われるのです。
ミスの後に現れる“心の欲望”
「林の中に打ち込んだ。でもまだグリーンは狙えるかもしれない…」
「カップまであと2m…入れたい!」
そんなとき、心の中に“欲望”が顔を出します。

本来なら冷静に横に出せばいいはずの場面でも、心は「一発でリカバリーしたい!」という願望に支配されます。それはまさに、日常生活の中で「無理をしてしまう自分」とまったく同じ姿なのです。
“脱力”と“無心”──空手との共通点
私が最近特に感じているのは、「力を抜いたときこそ、ゴルフはうまくいく」ということです。以前の私は、「身体をしっかり使って強く振れば飛ぶ」と思っていました。しかし、現実は逆でした。力んだショットは曲がり、飛ばず、結果も悪い。ところが、意識を“脱力”に切り替えると…
まるで別人のように、スッとボールが前に進む。しかも、狙った方向に。

これは空手における「無心の突き」と全く同じです。“力を抜く”ことで、“本当の力”が出る。そこに仏教の「無我」の教えも通じているのです。
まとめ──ゴルフは人生の縮図
ゴルフは、技術や戦略だけでなく、自分の心を映し出す鏡です。欲望に惑わされたり、焦りに負けたり、逆に平常心を保ったり…。ラウンド中に見えるのは、まさに“人生そのもの”の姿。私は、ゴルフを通して自分の心を見つめる修行を続けていきます。このブログでも、その気づきや成長を共有していきますので、どうぞこれからもお付き合いください。

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