型がうまくいかない。
技がぎこちない。
試合や大事な場面になると、体が固まる。
それなのに、「もっと考えろ」と言われて、余計に動けなくなったことはありませんか?
逆に「考えすぎだな」と言われても、じゃ“考えない”ってどういう状態なのか、正直よく分からない。
これは空手をやっている人なら、一度は必ずぶつかる壁です。
そして実は、この問題は空手に限った話ではありません。
仕事でも、人間関係でも、人は「考えすぎた瞬間」に、自然な動きや判断を失っていきます。
私自身、極真空手を続ける中で、この「考えすぎて動けなくなる感覚」に何度もぶつかり、乗り越えてきました。
そして稽古と指導を重ねる中で、空手と仏教の間にある、ある共通点に気づいたのです。
今回は、自分の体をどうやったらうまくコントロールができるようになるのか?
そして、考えすぎによる体の硬直を、どうすれば克服できるかを考えたいと思います。
考えすぎると、なぜ体は動かなくなるのか

空手の稽古で誰もが一度はつまずく瞬間
・型がぎこちなくなる
・注意されるほど動きが硬くなる
・「次は失敗できない」と思った途端、体が止まる
こうした経験は、珍しいものではありません。
むしろ、真面目に取り組んでいる人ほど起こりやすいんです。
これは「技術不足」ではなく「思考過多」
この状態は、技が未熟だから起こるのではありません。
頭の中が思考過多(オーバーシンキング)の状態になっています。
心配事やネガティブ思考があると、頭の中で繰り返し考えてしまい、脳の疲労やストレスを引き起こしてしまう。
空手で例えるならば、
「どうやったら相手に勝てるのか」
「周りからどう見られているか」
「失敗したらどうしよう」
こうした思考が一気に浮かんだ瞬間、体は本来の動きを忘れてしまいます。
ムカデとアリの話が教えてくれる“無心”の正体
考え始めた瞬間、人は自然な動きを失ってしまいます。

ムカデ競争
考え始めた瞬間、自然な動きは失われる
子どもたちに、私はよくこんな話をします。
アリくんがムカデくんに聞きました。
「足がたくさんあるけど、右足の何番目はどうやって動かしているの?」
ムカデくんは考え込んでしまい、次の日から、歩けなくなってしまったのです。
最初は、ただの面白い話だと思っていました。
でも後で知ったのです。
これは仏教の「無心」「無我」に通じる、深い例え話だと。
無心とは「何も考えない」ことではない
ただ頭を空っぽにすることではない
どう動くかを操作しようとしない状態
余計なことを考えていない状態
ムカデは、ただ歩こうとして歩いていたわけです。
いちいち、どの足をどう動かそうかなど、細かいことを考えて歩いているわけではない。
ただ、歩いていた。
それだけです。
無意識で動く体こそ、人間の本来の力
私たちは普段、体の動きを考えていない
歩くとき、物を取るとき、呼吸するとき。
私たちはいちいち筋肉や関節を意識していません。
体は、無意識の中で自然に動いています。
空手でも「考えない時」に動きは整う
空手の稽古も同じです。
型の細部にとらわれすぎると、動きは硬くなる。
逆に、「とにかくやってみる」とき、体は驚くほど自然に動きます。
私は子どもたちに、よくこう言います。
「考えなくていい。やってごらん。感じてごらん。」
その瞬間、動きが変わるのです。
これは技術論ではありません。
人間の体の仕組みそのものです。
空手は「立ったままの瞑想」である
動きに没頭すると、思考は自然に静まる
型に集中しているとき、組手で相手と向き合っているとき。
頭の中は、不思議なほど静かになります。
雑念が消え、「今ここ」にしか意識がない。
禅と空手が交わる一点
これを、仏教では瞑想と呼びます。
座っていても、立っていても、本質は同じ。
空手は、立ったままの瞑想。
動く禅なのだと、私は感じています。
無心は才能ではない。順番の問題だ
考えるな、ではなく「考える順を変える」
無心は、特別な才能ではありません。
長年修行した人だけの境地でもありません。
大切なのは、順番です。
・動く前に考えない
・動いた後に振り返る
これだけで、体は驚くほど楽になります。
次の稽古で試してほしい、たった一つのこと
次の稽古で、これだけ試してみてください。
「今は考えない」と決めて、最後まで動く。
考えるのは、終わってからでいい。
それだけです。
おわりに——空手と仏教は、生き方の稽古である
先生の言葉に、仏教がにじむ理由
私の先生は、仏教を学んでいるわけではありません。
それでも、その言葉や姿勢には、仏教的な智慧が自然とにじんでいます。
真剣に修行し、人を育て、誠実に生きる。
そこに行き着けば、道は同じになるのでしょう。
無心とは「正しく生きようとする姿勢」
空手は格闘技ではありません。
心を整える修行です。
仏教も宗教というより、どう生きるかを示した、先人の知恵です。
無心とは、何かを捨てることではない。
自然に生きようとする姿勢そのものなのだと、私は思います。

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