”自分って、本当に変われているんだろうか?”
”努力しているのに、いまいち成果の実感が湧かない”
そんなふうに考えてしまうことってありますよね。
空手修行や心の訓練の実践を重ねている私でも、変化に確信が持てない——そんな思いに囚われることがあります。
でも実は、自分で変化に気づけないことこそが、”真の自己成長”の証なのです。
この記事では、”気づかぬうちに訪れる変化の本質”と、それをどう受け取るかについて、仏教の視点からお話しします。
頑張っているのに結果が出ない理由
人は、どれだけ頑張っても、結果が出なければ評価されない──
そんな現実を、誰もが一度は味わったことがあるでしょう。
たとえば、空手の稽古を一生懸命続けている子どもたちの中にも、
試合でなかなか結果を出せない子がいます。
そういう子を見ていると、私はいつもこう声をかけたくなります。
「道場に入門した頃のことを思い出してごらん。」
右も左もわからず、親の手を引かれてきたあの子が、今では自分の力で試合場に立ち、全力で戦っている。
その姿こそが、“成長の証”なのです。
試合に勝てなくても、それは決してネガティブなことではありません。
むしろ、自然に身についた心の変化こそが──
“本物の成長”だと私は思うのです。
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【時間の流れが教える】変化とは「前の自分」とはもう出会えないこと
「変わろう」と本気で行動した時点で、もう“何もしなかった自分”とは別の道を歩んでいます。
それを仏教では諸法無我といいます。
自分自身が行なった行動、言動、思い(身、口、意)は、全て結果として自分に必ず帰ってきます。
そのため、自分自身と過去の自分を並べて比べることは、そもそも不可能なのです。
だからこそ、気づけないのが自然。
変わったあなたが、“今のあなた”として、当たり前にそこにいるだけなのです。

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【周囲の声が教えてくれる】変わったことに気づく瞬間
変化とは、他者の目を通して初めて気づくこともあります。
「最近、穏やかになったね」
「前より柔らかい雰囲気だね」
といった一言が、何よりの証拠。
そのとき、あなたはすでに“自己成長を果たした自分”になっているのです。
仏教では「欲から離れること」が説かれていますが、不思議なことに、人は欲を無理に消そうとすればするほど、かえって強く欲してしまうものです。
けれど、心の修行を日々重ねていくと、いつの間にか欲への執着が薄れていることに気が付きます。
「あれ?最近そんなに欲しがらなくなったな」と気づく瞬間が訪れます。
それこそが、”自覚なき変化”であり、静かに進んでいた”自己成長の証”なのです。
【焦らず実践を】変化とは、静かに育つもの
”変わろう”と本気で行動した瞬間、あなたはすでに“過去の自分”とは違う道を歩み始めています。
そのため、今のあなたと、何もしなかった自分を並べて比較すること自体が、本来できないのです。
だからこそ、自分の変化に気づけないのは自然なこと。
変わったあなたが、“今のあなた”として、静かにそこに存在している──それこそが、本当の成長の証なのです。

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まとめ
「自分が変われたかどうか」に気づけなくても、心を込めた実践を重ねているあなたは、すでに確実に前に進んでいます。
だからこそ、自分の変化に気づけないのは、何も悪いことではありません。
むしろそれは、あなたの中に“本物の変化”が静かに根づいている証拠。
心の修行を続け、仏教や空手の道に身を置いてきた私も、自分の成長を信じています。
そして、皆様のお力になれるように今日もまた頑張って一歩を踏み出していきます。
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【この記事を書いた人】

極真空手歴20年。トラックドライバーとして日々の労働をこなしながら、仏教・禅・気功の修行を重ね、心の鍛錬と現実生活を融合した生き方を探求。
ブログ「LifeSpirit」では、**“優しさこそ真の強さ”**を理念に、空手・仏教・日常修行を通じて「心を整える生き方」を発信しています。

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