「自分って、本当に変われているんだろうか?」
空手修行や心の訓練の実践を重ねている私でも、変化に確信が持てない——そんな思いに囚われることがあります。
でも実は、自分で変化に気づけないことこそが、真の“自己成長”の証なのです。
この記事では、気づかぬうちに訪れる変化の本質と、それをどう受け取るかについて、仏教の視点からお話しします。
【気づけない成長】人は自分の変化に気づけない

人は、努力していても「自分が変わった」と実感することが難しいものです。
たとえば空手の稽古を頑張っていても、自分自身が強くなっていることを理解していない人をよく見かけます。
でもそれは、決してネガティブなことではありません。むしろ、自然に身についた変化こそが“本物”なのです。
【時間の流れが教える】変化とは「前の自分」とはもう出会えないこと
「変わろう」と本気で行動した時点で、もう“何もしなかった自分”とは別の道を歩んでいます。そのため、自分自身と過去の自分を並べて比べることは、そもそも不可能なのです。
だからこそ、気づけないのが自然。変わったあなたが、“今のあなた”として、当たり前にそこにいるだけなのです。

【周囲の声が教えてくれる】変わったことに気づく瞬間
変化とは、他者の目を通して初めて気づくこともあります。
「最近、穏やかになったね」「前より柔らかい雰囲気だね」といった一言が、何よりの証拠。そのとき、あなたはすでに“自己成長を果たした自分”になっているのです。
仏教では「欲から離れること」が説かれていますが、不思議なことに、人は欲を無理に消そうとすればするほど、かえって強く欲してしまうものです。
けれど、心の修行を日々重ねていくと、いつの間にか欲への執着が薄れ、「あれ?最近そんなに欲しがらなくなったな」と気づく瞬間が訪れます。
それこそが、自覚なき“変化”であり、静かに進んでいた自己成長の証なのです。
【焦らず実践を】変化とは、静かに育つもの
「変わろう」と本気で行動した瞬間、あなたはすでに“過去の自分”とは違う道を歩み始めています。
そのため、今のあなたと、何もしなかった自分を並べて比較すること自体が、本来できないのです。
だからこそ、自分の変化に気づけないのは自然なこと。変わったあなたが、“今のあなた”として、静かにそこに存在している──それこそが、本当の成長の証なのです。

まとめ
「自分が変われたかどうか」に気づけなくても、心を込めた実践を重ねているあなたは、すでに確実に前に進んでいます。
だからこそ、自分の変化に気づけないのは、何も悪いことではありません。むしろそれは、あなたの中に“本物の変化”が静かに根づいている証拠。
心の修行を続け、仏教や空手の道に身を置いてきた私も、自分の成長を信じています。
そして、皆様のお力になれるように今日もまた頑張って一歩を踏み出していきます。
💭 心の在り方については、こちらの記事でも詳しく触れています。
→ よかったらご覧ください。『慈悲 〜「自分さえ良ければいい」を超える生き方〜』
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